今日は男と女の話。
中でも、会話ややりとりで繰り広げられるネゴシエーションの話です。
ここに、普段から少し彼に疑問を抱いているあなたがいるとします。
彼は自分のことを、いったいどれだけ真剣に考えているのか?
結婚しようって考えてくれているの?
みたいな思いがいつもなんとなくある…という背景において
さりげない会話の中には
沢山の批判や嫌味や
場合によっては侮辱などが
ところ狭しと並んでいるものです。
その底には
私はこんなに一生懸命なのに、彼はそんな私のことをちゃんとわかってくれない
という気持ちが渦巻いているからです。
被害者なのです、つまり。
だから
私は今までそうじゃないと思ってきたけど、あなたの言う世界ではそうなのね
と、理解のある人を演じながら批判したりするわけです。
ものわかりの良い優れた女でいる為に、
(○○みたいな女じゃない為に)
被害者の立場を守りながら
相手を非難したりするわけです。
また例えば
「決してあなたを傷つけるつもりはないんだけど」とか
「あなたの意見を否定するわけじゃないけど」とか
「これは批判ではなくてね」とかとかとか
さりげない会話の中にいっぱいちりばめられている、嫌味や批判の数々。
ぃやぃや、そうじゃなくて、私は本当に相手やお互いの為と思うんだけど、彼にはどう受けとられるかわからないから、注釈がついちゃうだけ
…って、言い訳も聞こえてきそうです。
が、
批判ではなくて…と言ってる時点でそれは批判です。
人が常に
最大パワーを投じて情熱を傾けたいもの、
それは 自分の正当性 です。
それゆえに、
↑のような会話は常々起こるのです。
別にいけないことではありませんが、
これはけっこうエネルギーを消耗することです。
なので時おり
もう、この恋に疲れちゃったわ
などということにもなったりします。
ちなみに
恋に疲れて終わりにするのも自由です。
しかしそれは
相手のせいではない
…ということだけは確かです。
エネルギー消耗パターンを選んだのは自分だからです。
エネルギー消耗パターンになっていることを
ほとほと疲れる前に知ることができると
それを続行するか、
あるいはやめて消耗しないパターンに切り替えるかの選択をする余地ができます。
とはいえ
消耗しないパターンには
正当性への情熱の入る余地はありません。
また、被害者意識もミスマッチです。
ゆえに、自分ととことん向き合うプロセスが必要なのです。
ミシェルメイ美菜子☆